喪服はどうして黒色なの?白い時もあった喪服の色が変わった理由とは?
ご家族やご親族、友人・知人などにご不幸がありご葬儀に参列することになった場合、故人様との最後のお別れのために真っ黒な喪服を着用することになります。この喪服ですが、「黒」をイメージする方が多いと思いますが、以前は「白」であったということをご存知でしょうか。
この記事では、喪服の歴史やなぜ喪服が黒いのかなどについてご説明します。
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白と黒、繰り返した歴史
2012年に亡くなられた歌舞伎役者の18代目中村勘三郎氏のご葬儀において、奥様の好江夫人が白い喪服を着用し、当時のニュースなどでご覧になられて驚かれた方も多かったのではないでしょうか。
日本の歴史上、喪服が初めて登場したとされているのは、奈良時代だとされています。日本最古の歴史書として有名な『日本書紀」によれば、当時のご葬儀では、故人様のご親族やご会葬者は「白い喪服」を着用するのが通例とされていました。その後千年以上にわたって、庶民の喪服は白い喪服が主流であったとされています。
それでは、上流階級はどうだったかというと、当初は庶民と同様に「白い喪服」を着用していたとされています。しかし、718年の「養老喪葬令」によって、天皇が「錫紵(しゃくじょ)」という薄墨色の麻の細布衣を喪服に着用するようになったことをきっかけに、上流階級にも「薄墨色の喪服」が広まりました。その後、時が経つにつれて墨染めの色が濃くなり、平安後期には「黒色の喪服」が着用されるようになりました。
しかし、平安時代以降の貴族の影響力が薄れていった室町時代には再び「白の喪服」が主流になっていきました。
このように、日本の歴史では、喪服については庶民が白、上流階級が白や黒を繰り返していったのです。
喪服の色が変わり始めたのは明治維新
喪服の色が、それまでの伝統から変わり始めたきっかけとされているのが明治維新でした。
1878年に、現代でいえば首相にあたる初代内務卿を務めた大久保利通が暗殺されてしまいます。そのご葬儀は、多くの諸外国から注目されました。それを考慮した明治政府から、「会葬者の喪服は黒で統一する」とのお達しがありました。
また、1897年の皇室のご葬儀に列席された欧米諸国の賓客たちは、ヨーロッパ王室式である「黒い喪服」を着用していたのを見た政府関係者は、日本人のご会葬者にも「黒い喪服」をしつらえさせました。
これらをきっかけに、上流階級の間で国際標準の喪服の色として黒を認識する気風が広まり、1915年の「皇室令」によって、宮中参内の喪服は、「帯締め・帯揚げ・足袋は白」とされ、それ以外に関しては黒を着用することが定められました。しかし、この時点でも庶民にとって、黒の喪服は縁遠いものでありました。
庶民にも広まったきっかけは第二次世界大戦
庶民に黒の喪服が広がったきっかけされているのが、第二次世界大戦になります。
当時の喪服は、貸衣装を着用するのが一般的であり、その貸衣装屋には白と黒の喪服が混在していました。第二次世界大戦によって戦死者が急増したため、貸衣装屋で喪服を借りる方も急増しました。借りる頻度が増えたために白い喪服の汚れが目立ってしまい、直ぐに使い物にならなくなってしまうことがでてきてしまいました。そこで貸衣装屋たちは、汚れが目立たずに手入れがしやすい「黒の喪服」を揃えるようになり、手入れのしやすさや喪服を黒に統一されている欧米諸国の影響もあって、庶民にも急速に黒い喪服が広まっていきました。
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